スタディーツアー思い出 2005年―②

理事の斎藤です。
あれから約18年の時が流れましたが、シェンクアーン県のIV-JAPANのラオス活動の出発点を訪ねた事や、結婚式に招待されラオスの格差社会を目の当たりにして戸惑った事等を時々思い出します。

ツアーの後半はシェンクアーン県で最終日は山の上にあるモン族の最貧の村に衣類や文房具を届けて子ども達と交流した。厳しい生活環境ですが、みんな仲良く元気に暮らしていました。夕刻ビエンチャンに到着。

翌日は富永代表の友人の息子さんアヌーサの結婚式にスタディーツアー参加者全員が招待されました。代表の友人はシェンクアーン県の元王族の出身で父親は大阪万博当時の日本大使。アヌーサの仕事はIT関係。新婦の父親はベルギー大使。まさしく良家の結婚式でした。

ラオスの結婚式は、午前中に新郎宅でバーシーを行い午後には新郎が親族と共に新婦宅に移動。新婦宅が近くなると新郎が大きな傘をさして鳴り物入りで新婦宅に向かいますが、家の前で新婦の親族が待ち構えており無理難題な質問を繰り返して邪魔をします。無事に合格するとやっと入室を許されてバーシーが始まります。昔のラオスは入り婿制度だったのでそのスタイルだけが結婚式に残っている様です。残念ながら私達はその儀式には立ち会えませんでした。

(婿入りの写真は代表提供、別日です)

流石に両家共に屋敷も広く設えも立派でした。新婦宅でのバーシーは厳粛ながらもとても華やかで、お二人の式服は勿論参列者の衣装も豪華で上品。

バーシー後親族が二人の部屋で記念撮影をするとか。私達は庭でお茶をご馳走になりひと休み。とってもお似合いのお二人を見ているとこちらまで幸せな気分になりました。

披露宴は19時からビエンチャンのホテルで開かれました。

19時少し前に披露宴会場のコスモホテルに到着、オープンしたばかりの立派なホテルで驚いた。招待客は600人位と聞いていたがまだ来客は少なく、ブッフェスタイルなので各自で料理と飲み物をテーブルに運び歓談していた。私達にはホテルのスタッフが気を利かしていろいろ運んでくれた。料理はラオス、フレンチ、イタリアン等。時間になっても主催者から挨拶や乾杯、招待客の挨拶等も全く無し。新郎新婦が各テーブルを回って挨拶に来るらしいのでそれを待っていた。気が付くと人が増えていつの間にかプロの歌手が歌っていた。間もなく前方で踊りの輪が幾つも出来てダンスフロアー化に。私達も新郎新婦のご挨拶を受けてから踊りの輪に入りダンスを楽しんだ。宴もたけなわでお名残り惜しかったのですが、明朝帰国なので22時前に失礼しました。

ラオスの披露宴はとにかく自由で賑やか。そして若い女性客の衣装(シン)や化粧、ヘヤースタイルが新婦より派手。

招待客が家族や友人を同伴する事も多く、ご祝儀を出せば何人でも歓迎されるので出席者の総数は披露宴が終わるまで不明。

今回は、生涯で二度と無い貴重な体験をさせて頂き代表と友人に感謝です。

正直、2日間でラオスの格差社会を目の当たりにして戸惑いを感じましたが。

当時のラオスの一般家庭の結婚式は、自宅周りの空き地にテントを張り数日に分けて披露宴をした。田舎では小学校を借りる事もあったらしい。

最近のラオスの結婚式事情を代表に聞くと驚くほど変化していると。

一般家庭でも一生に一度だけと言ってとにかくお金をかけて派手になっている。地方にも立派な結婚式場が次々と建ち、そこを利用するので披露宴の招待客は300人位が普通。生活が豊かになったのですね。

又バーシーの後で指輪の交換をするらしい。

富裕層では、親族が同じ織りのシンを特注して参列したり、両家でシンボルカラーを決めて招待客は指定されたカラーの衣装を着たり小物を身に着ける等、趣向を凝らしているとか。

ラオスもいろいろ変りつつありますね。

久しぶりに今年度からスタディーツアーを再開予定。懐かしい人との再会や経済発展が著しいラオスの現状を見るのも楽しみです。

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