1.なぜネパールなのか?
縫製訓練
縫製訓練

 ネパールは、ヒマラヤ山脈と接する国家であり、山岳地形の中にある国です。また、内陸国家でもあります。そのため、農地になる土地は少なく、また、海に面していないことから工業の発展に制限があります。それでも、首都カトマンズでは、サービス業を中心に起業が盛んに行われており、日々経済成長を肌に感じることできます。しかし、一歩首都をでれば、昔ながらの農業を中心とする生活が営まれており、また、家父長制の名残を強くしているため女性は弱い立場に置かれてます。

 このような状況下で、女性たちが技術を身に付け自立することは重要なことです。女性の経済的な自立は、弱い女性の立場を救うことになります。そこで、自分達の作った日用品や衣類を市場等で売ることができるようになることは大切なことです。

2.ネパールでの活動
手刺繍訓練
手刺繍訓練

 IV-JAPANの訓練では、女性たちに、1年目には、小さなバッグや食器洗いニット、鍋敷きやコースターといった簡単な日用品の作り方を教えます。2年目には、訓練に参加した女性全員がニットセーター、サリーのブラウス、クルタ(襟無しのワンピース)、シャツ、ズボン、スカート、肌着、子ども服などの衣服を作り方を教えます。村内の市場で販売できるような衣服・日用品の製作が可能になれば、女性たちの経済的自立促進の一助となります。
 また、衣服や日用品の縫製の職業訓練に加え、藁やトウモロコシ皮のマット(座布団)など、伝統的なハンディクラフト製品作成の技術の指導も行っています。村の女性たちが、失われつつあった伝統工芸品作成の技術を習得することができるだけなく、これらの製品は村の外の市場での販売ができるようになります。村の中だけでなく、村の外からの収入源も獲得することができるようになることは女性たちの大きな自身につながっています。

3.ネパール事業プロジェクト・マネジャーのメッセージ

ネパール事業プロジェクト・マネジャー ビナ グルンさん 

ビナさん(左)と冨永代表(右)

 私とIV-JAPANの出会いは、ラオスのインターナショナルスクールで英語を教えていたときでした。お金持ちの子女が集まるインターナショナルスクールで教えていたため、ラオスの貧困等にはあまり関わりはありませんでした。しかし、偶然IV-JAPANと出会い、ラオスの貧困問題を知り、最初はボランティアとしてIV-JAPANの活動に参加しました。

 私がプロジェクト・マネジャーとしてIV-JAPANに関わるようになったのは、2015 年 5 月にネパール中部ゴルカ郡地震が起きたときです。被災者への緊急支援、その後に被災者の生計向上支援では、蚊帳や毛布、石鹸などを配布し、さらに被災者の人々が安心して暮らすことができるように、流し台作りのトレーニングをして、セメントと100リットルのタンクを配布し、自分自身で流し台を庭に造る支援をしました。ゴルカの村では家には流し台がなく、外で洗濯や水浴びができるようになり、女性の労働軽減にもなりました。その後、女性たちの自立を目指し、女性グループに対し縫製と石鹸作りのトレーニンを実施しました。IV-JAPANの支援は、緊急支援のときの1回に限らず、女性たちが自分達でお金を稼げるようになるまで継続することで、今では、多くの女性が起業を果たし、経済的な自立を果たしたことは、この事業に関わった私にとって大きな喜びです。村からゴルカ郡都まで徒歩で2時間かかりましたが、中には、自動車を購入した女性もでてきて、村の人も助かっています。

 さらに、女性の自立を目指し、編み物と洋服作りのトレーニングを実施しています。1回目は編み物で小物をつくる、2回目には足踏みミシンを使った縫製のトレーニングを行いました。昔は、各村に伝統衣装などを作る縫製業のカーストの人たちがいましたが、小学校などの就学率が高くなるにつれて誰も縫製業をしなくなり、伝統衣装の技術が失われてしまいました。しかし、IV-JAPANのトレーニングにより、再び村の女性が伝統衣装や子供服等を作ることができました。

 IV-JAPANの活動を通じて、経済的な自立の実現をはじめ、ネパールの女性たちの意識を大きく向上させることができました。また、プロジェクト期間が終わっても、毎年職業訓練や教育支援を続けているため、女性グループたちの活動も継続しています。このことは私にとって誇りで、IV-JAPANの活動に関わることができて本当に良かったと思います。これからもよろしくお願いいたします。