時代とIV-JAPAN

 20世紀の終わりにアスペンクラブという企業団体のセミナーで冨永代表に出会い、それから長い付き合いが始まりました。一番の思い出は私の出身が化粧品業界であったことから美容理容コースの設立に協力したことですが、それ以外にも何度かのスタディツアーや5年刻みの記念報告会の企画など楽しい思い出がたくさんあります。そこには「ラオス」という国と国民に対しての畏敬の念がありました。

発展途上国は確実に文明化します。ラオスも例外ではありません。10年前の写真がウソのようです。中国資本による毒され方も尋常ではないようです。20年前「ラオスの若者もおしゃれになってきた。そろそろ美容理容の職業訓練が必要だね」という考え方には説得力があり、私は背中を押されました。しかしそれから20年、ラオスの求めるものが見えづらくなってきています。それはIVの活動のベクトルが定めにくくなってきていることに通じます。組織基盤の維持の難しさがそれに輪をかけています。ラオスの発展に対応してIVがどう変わっていくか、“NGO活動の終点は自らが必要でなくなった時”だと悟れば悟るほど、これほど難しい命題はありません。

『IV-JAPAN 2世紀』の土壌作りが始まっています。「趣旨に賛同して手弁当で駆け付けた“これまで”の善意の人たち」と「デジタル社会で効率的に組織を運営できる“これから”の人たち」がうまく融合するような知恵が必要です。“これまで”族の私には斬新な知恵が出てきそうにありません。2世紀を担う若い人たちが冨永イズムをどう継承・発展させていくか、私は老害を及ぼさないような位置で静かに見守っていたいと思います。(池田)