外務大臣表彰をいただいて ~ラオスに生かされて~ (第2部) 

 代表理事の冨永幸子です。

 今回のブログは前回のブログの続きになります。

【ラオスでの活動】

 難民のラオス人から「タイばかり支援しないでラオスにも行ってください。」と言われて、1994年にノンカイからメコン川をフェリーで渡って、初めてラオスに来ました。75年の革命当時から何も変わっていなくて、ひどい有様でした。また、初めての社会主義国でまったくタイでの活動とは違い、どこへ行くにも許可が必要で、政府の役人がお目付け役で付いてきます。シェンクアーン県に参りました。 空港の近くにたった1軒のゲストハウスがあるのですが、お風呂はドラム缶にお水が溜まっているだけで、震えながら水を掛けました。ベトナム国境に近いノンヘット郡まで1泊2日で行くのですが、道端には紫や白のけしの花がたくさん咲いています。山岳民族の主な収入源です。道中宿屋はなく、食料持参の旅でした。トイレもありません。野原で用を足すか、農家のトイレをお借りするのですが、用を足したらシャベルで土をかぶせる式のトイレにも驚きませんでした。ガールスカウトキャンプの経験が生かされました。

ラオスでは学校と訓練所を全国に31カ所建てました。そのうち9カ所はXKHです)面白いエピソードがあります。ノンヘットに行くには途中カム郡の小さな温泉宿で泊まりますが(温泉があるんです)、電話もないので予約できません。温泉に行ったら満室で宿泊できないというのです。シェンクアーン県知事ご一行が来ていました。そうしたら県知事さんが「僕は運転手と一緒に泊るから私の部屋を使いなさい」と言ってくださいました。社会主義国の良いところを見た気がしました。社会主義の嫌なところも経験していたので、うれしかったです。この知事はのちに大臣になりました。

【職業訓練】

 女性や青年の自立には職業訓練で技術を身に着け、経済的自立が大事と、最初の事業はシェンクアーンの山岳民族の女性の職業訓練(縫製・織物)と学校制度外教育から始めました。1期6か月間に50人を受け入れて、全員寮生活で卒業します。小学校卒業は360時間、中学校卒業も確か240時間で終了できました。首都のビエンチャンと地方は全く生活環境が違います。シェンクアーン県ノンヘット郡で10年間実施し、1000人の卒業生を輩出しました。1998年ごろ各国大使がシェンクアーンへ視察に見えたとき、ノンヘットの職業訓練所にも来てくださいました。日本大使は「こんな辺境の地にも日本の援助が届いていて鼻が高かったよ」とおっしゃっていました。

 けれど、起業や就職は難しかったです。訓練生は山岳民族の娘(こ)で、山の中の村に帰っても店はなく、親戚ばかりです。商売になりませんが、村でたった1軒の洋服屋ができ、ふもとの月3回の市が立つ日に洋服を買いに降りて行かなくても済むようになり、村人が喜んでいました。もう少し低地のカム郡では生なりの手織物に業者が注目して、たくさんオーダーが来て、商売が成り立ちました。

【ヴィエンチャン都訓練開始】

 1999年に訓練所をビエンチャン都教育局敷地内に建設し、木工家具職業訓練を開始、以後学校建設等は地元の青年を雇用して建設職業訓練コースを実施しながら建設しました。2000年には同所に縫製、調理、理美容訓練所を設立して、62人収容できる寮も建て、全国から訓練生が来るようになりました。

IV-JAPAN の職業訓練の特徴は:

  • 持続性=いつまでも日本の援助は続きません。それで、ハンドオーバー後の継続を考え、
    • トレーナーは公務員を養成、給料を払わないで済みます。
    • 授業料を課して運営費にします。貧しい訓練生には授業料相当のIVカノック奨学金を支給します。
  • 実践重視の訓練です。
    • 初・中級6カ月で基礎、上級OJT6カ月で外部からのお客さん相手に技術と経営の経験を積み、実力が付きます。収益は訓練生で分けます。OJTはラオスでは初めての試みで教育省からGOOD EXAMPLEと評価されました。

3)「チャンパー山の民奨学金」を最近(2018年)創設しました。

  ①恵まれない地方の女性・青少年に自立の機会をもっと広げるため、日本のドナーは1人の訓練生に6万円を負担してもらいます。

  • 草の根の地方の女性・青少年に6カ月間の生活費と交通費を支給します。予想できなかったことですが、訓練生の中には14歳の少女も毎期数人含まれていました。両親が離婚や死に分かれて、親戚中をたらい回しにされて、体よく6か月間無料で生活でき、訓練も受けられるというので、送られてきた娘(こ)たちがいます。「チャンパー山の民奨学金」を創設してよかったとしみじみ思いました。協力していただいた友人たちドナーに感謝です。
  • マイクロ・ファイナンス・ローンの貸付を始めました。
  • 上級コース修了者に起業のためのローンを設定し、
    • 上限は縫製、調理、理美容は$500、木工家具修了者は$1000ドルを2年で返済します。
  • 就職先の紹介にも力を入れています。経済的に自立できて初めて職業訓練を受けた意味があります。 縫製や理美容は自宅で小さい起業が多い中、ホスピタリティ/介護、調理、家具は就職先を紹介し、卒業生の起業・就業率を65%目指します。写真はホテルで訓練生の面接に同行したり、訓練を視察したりしているところです。

【緊急支援事業】も実施しました。1995年阪神淡路大震災(ベトナム系の全世帯に魚醤の配布)、2011年東日本大地震(アジア系の人々の安否確認と炊き出し支援)、2013~14年セブ島台風、2015年ネパールゴルカ郡大地震、2018年ラオス南部洪水などです。

【自分自身の自立】

 ラオスではファッションショウの出演も毎年頼まれ、カツラをかぶって振袖で出たり(ちなみにこのカツラは浅草で宴会用を1万円で購入しました)、茶道の紹介も頼まれ、写真は日本大使がお正客をしました。仕事の他にこんな面白いことがたくさんあるので、ラオスで楽しく過ごしています。趣味の茶道もラオスでたくさんのお弟子さんがいて、今は生きがいです。今、2人のラオス人を後継者に特訓してます。

 職業訓練は成功したのですが、私生活でも1994年以来、家族をほったらかしにした付けが回ってきて、夫から離婚届が来ていました。息子が結婚するまでは籍を抜かずにおりましたが、息子の結婚を機に15年前に離婚しました。私も完全に経済的に自立しなければなりません。つくづく6カ月や1年の訓練だけで起業する訓練生が「偉い」と思いました。

 2018年に南部アタプー県のダム決壊で洪水が起こり緊急支援に行ったのですが、1年後に再度継続支援に赴いた帰りに南部パクソンの山中で交通事故にあいました。交通事故から1年ぶりで復帰したときはたくさんの卒業生が私の身を案じて、50人も集まって「バーシースックワン」=病気やことあるごとに良い気を呼び込むための儀式=を開いてくれました。ビエンチャンやナーサイトン職業訓練所を合わせると2500人くらいの卒業生がいます。現在ロックダウンで外出できないのですが、卒業生から食べものはあるか、とか、FBや電話で心配してくれる家族が現地にいるのはとても幸せなことです。長生きしたおかげで、自立する卒業生たちを見ることができてありがたいです。 私は息子にお墓はいらないので、メコン川に流してほしいと言っています。 尊敬するお坊様にも良くしていただいておりますので、こちらでお葬式もできると思います。後10年は元気に仕事やお茶を教えられると思っています。

日本でも応援してくれる沢山の友人、ドナー、職員、家族に感謝です。特に今月105歳になる母には感謝です。ラオスにも94歳まで毎年来て、応援してくれてました。外務大臣表彰のことは分かったみたいで、ビデオで「おめでとう」と言ってくれました。写真は4年前の創立30周年に出席したときの100歳の母と姉です。

NHKラジオ・ラオス・レポーターをもう10年以上も続けておりますが、NHK「ラジオ深夜便」や「あさイチ」を通してラオスのことを紹介しております。今後もどんどんラオスを発信していきたいと思っています。