Manahoana!(マナウォーナ!)

皆さまはじめまして。

8月よりIV-JAPAN日本事務局パート職員として勤務しております、奥山です。どうぞよろしくお願いいたします。

現在、さいたま市内の小学校に勤務しつつ、平日夜間と土日は小中学生を対象としたサッカークラブの運営に携わっています。4児の母でもあり、てんやわんやな日々を送っていますが、そんな私はかつて青年海外協力隊員としてマダガスカルで活動をしていました。タイトルの「Manahoana(マナウォーナ)」はマダガスカル語の「こんにちは」。今回は自己紹介代わりに、簡単ではありますが私の大好きなマダガスカルのご紹介をさせていただきます。

マダガスカルはアフリカ大陸の東側に位置する島国です。日本からは飛行機を乗り継いで20~30時間ほど。飛行機の窓から見下ろすマダガスカル島はまさに「赤い島」で、ラテライトと呼ばれる赤い土に覆われています。地理的には「アフリカ州」として分類されますが、『マダガスカル―アフリカに一番近いアジアの国―』(山口洋一著 1991年)という本のタイトルにもあるように、アジア的な文化をもつ国です。

人口は2800万人ほどですが、その大部分を占めているのはアジア系の民族です。首都アンタナナリヴを歩いていると、人々の顔つきがアジア系、特に東南アジアの人々に似ていることに驚きます。実はマダガスカル人の祖先はボルネオ島からはるばる海を渡ってきたマレー系民族といわれており、彼らはこの地に稲作をもたらしたと考えられています。

乾燥地帯である南部を除く多くの地域で水田が見られ、特にアンタナナリヴのある中央高地南部には美しい棚田の風景が広がります。器用で手仕事が上手な人も多く、農作業の合間にカゴやゴザを編み上げている様子はさながらかつての日本の農村のようです。

牛耕による田起こし
手作業での田植え
稲刈りも手作業
脱穀ではドラム缶が大活躍

当然主食は米。マダガスカルは毎年一人当たり120kgのお米が消費される、世界有数のコメ消費国でもあります。

首都のオシャレなレストランも、激安の食堂も、家庭料理もとにかく米、米、米。平皿に大量に盛られたごはんに塩やトマトで味付けされた煮込み系のおかずを合わせて食べます。朝食の定番はおかゆ。ヴァーリ・アミナナナという日本の七草粥のようなおかゆが食べられています。どの家にも大きく深い鉄鍋があり、これでご飯を炊きます。炊きあがったご飯をよそい終わった鍋に残っているのは…そう、おこげです。ここに水を足し、再び煮立たせて飲むのがラヌ・ナパング。香ばしい麦茶のような、玄米茶のような、日本人も思わずホッとしてしまう飲み物があります。任期を終えマダガスカルから日本に帰る際の飛行機内で、CAさんに「お飲み物は何になさいますか?」と聞かれ「ラヌ・ナパング!」と答えた私。CAさんと近くの乗客たちとみんなで大笑いしたのはとても良い思い出です。

首都のレストラン
マダガスカル語の先生に教わりながら作った
初マダガスカル料理(おかず多め)
学校祭での炊き出し風景

公用語はマダガスカル語とフランス語です。首都や大きな町ではフランス語が通じますが、農村部ではほとんど使われておらず、聞こえてくるのはマダガスカル語ばかり。そのマダガスカル語にも、無数の方言があります。

マダガスカル語はオーストロネシア語族に分類され、マレー語やインドネシア語に近いものと考えられており、その起源は台湾ともいわれています。このように言語面でも「アフリカに一番近いアジアの国」らしさを感じることができます。

私が赴任したのは首都から北東に30㎞ほど行ったところにある、人口130人ほどの小さな村の小学校でした。村には電気、水道、ガスは無く、携帯電話の電波も微弱。食べ物や日用品を売る店もなく、村人はほぼ全員自給自足の生活をしていましたから、村で「お金」を目にすることもほとんどありませんでした。村の子どもたちの服はボロボロ。もちろん全員が裸足でした。赴任当初、そんな彼らがクリクリの大きな瞳でこちらを照れながら、恥ずかしそうに見てくるのがとてつもなく可愛らしかったのを覚えています。(あっという間に誰も照れてくれなくなってしまいましたけどね。)

今思えば、朝から晩まで村の子どもたちと一緒にいたなと思います。彼らのおやつといえばキャッサバやグァバ。追いかけ回すものといえば野生のカメレオン。バケツを頭に乗せて水汲みに行き、湧き水で洗濯をし、薪を取りに行き…。

グァバを握りしめながら遊ぶ子どもたち
家のお手伝いをする子どもたち
校庭でのなわとび
村の子どもたち

日本とは全く異なる村での暮らし。それでも私がスッと村の生活に馴染んでしまえたのは、そこにアジアの香りがしたからだと思います。彼らの顔つきや話し方、振る舞い。眼前に広がる田んぼ。子どもたちと歩くあぜ道の通学路。村人総出の田植えや稲刈り。そして毎日3食出てくるお米。それは私が思っていた以上に、私にとって心地良いものでした。私は日本人であり、アジア人である。そう思い知らされた2年間でもありました。

残念ながら、私はIV-JAPANが主に活動を展開しているラオスにはまだ行ったことがありません。しかし画像で見たラオスの農村風景や人々の表情には、なんとなくマダガスカルに近いものを感じました。懐かしい、ホッとする、心地良い。そんな自身の感覚を大切にしながら、活動に携わっていこうと思います。

皆さま、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。