「カンボジア旅行」

理事 金野喜久子

東南アジアで初めて訪れた国は、カンボジアで、今から、30年ほど前のことです。

その頃、「国際連合カンボジア暫定統治機構 (UNTAC)が実施した 1993年カンボジア総選挙の選挙監視員(国連ボランティア)である中田厚仁さんが、活動中に銃撃されて亡くなった」というニュースが流れ、カンボジアという国が気になっていました。そんなとき、偶然に旅行社の企画で、{カンボジアとアンコールワットのツアー}があることを知り、知人と一緒に参加することになりました。

 カンボジアに着くまでは、混乱(内戦)の人々への影響を心配していましたが、プノンペンでは厳しい環境の中でも逞しく日常の生活を営んでいる人々に触れることができて少しほっとしたことを記憶しています。

しかし、特に、「キリングフィールド」と「トゥール・スレン博物館」を訪れたときには、目に見える現実を受け止めることが難しかったです。慰霊塔には骸骨がオブジェのように展示されていたからです。そのとき、ものすごいものを見ているのに少し感覚が麻痺した感じになり、ふと我に返りますと、否が応でも過去の出来事をイメージさせられてしまいました。ツアーの同行者の皆様の口数が少なくなり、長い時間、重い空気が流れていたことを今でも忘れられません。

プノンペンの次にアンコール遺跡群の観光をしました。私は旅行の二番目の目的地である遺跡群観光にあまり重点を置いていませんでした。しかし、実際に行ってみると本当に美しくて芸術的な建造物でしたので、行けたことを今でも良かったと思っております。遺跡は、約900年前に建設が開始された、カンボジアを支配したクメール王朝の建造物なのですが、その当時のことを想像しながら遺跡群を巡っていると不思議な空間に入ったような気持ちになりました。

そのアンコール遺跡群も、内戦の被害を受けたそうです。弾痕がありました。保存修復事業がユネスコ文化遺産保存日本信託基金により行われていることを知りました。

旅行の帰路に就いたとき、たくさんの貴重な体験ができたことに満足しながらも、その間に学んだことや感じたことをすっきりと整理することができず、そのまま時間が過ぎてしまいした。数年後に国際協力の活動に参加させて頂くようになってから、ふと気付いたのですが、カンボジア旅行が私にとっての転換地点だったのではないか、ということにです。カンボジアで見たメコン川の上流にあるラオスという国のことを、そのときは、想像もしていませんでした。

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