ラオスの協力隊

 代表理事の冨永幸子です。

 まず、ラオスのコロナ事情です。ラオスはコロナウイルス対策に関しては過去1年間は感染者が50人以下で世界でも優等生でしたが、タイ国からの密入国者が陽性で、接触したラオス人から市中感染が広がり、瞬く間に2000人近くが感染、死者3名です。5月20日に都市封鎖(ロックダウン)が終了する予定でしたが、6月4日まで延長になり、さらに、15日間の延長になりました。これで延べ59日間ロックダウンが6月19日まで続きますが、カラオケ・マッサージ店とビエンチャンの学校は閉鎖されますが、レストランも店内飲食ができるし、ほぼ通常の生活ができるようになりました。ワクチンを接種していないと県境をまたいだ移動はできません。

 実は昨年2020年JICA(国際協力機構)が青年海外協力隊を途上国に派遣して55年になりました。第1期生は1965年12月のラオスを始め、カンボジヤ、マレーシア、フィリピンそしてケニヤの5か国に派遣されました。協力隊は「現地の人々とともに生活し、相互理解を図りながら、自らの技術・知識・経験を活かし、彼らの自助努力を促進するように活動する、草の根レベルのボランティアです。」現地語や現地事情は派遣前研修で習得します。

 5月現在JICA海外協力隊ラオス隊員は延べ1027名。(青年860名、SVは167名)派遣職種で多いのは看護師、助産師、村落開発分野です。また、ラオスはスポーツ系のサッカーや武道の職種の隊員派遣が、他国よりも多いそうです。

 初期1967年ラオス第5次隊に参加した後藤生光さん80歳の人生をご紹介したいと思います。今もラオスに住んでいらっしゃいますが、大分県豊後(ぶんご)大野市の農家出身で、大学も疑問もなく農業を専攻したそうです。とにかく海外で活躍したいのが夢で、発足したばかりの協力隊に応募し、ラオスのタンゴン農場に配属されました。

 雨季の1年1期作の稲作が普通だったラオスで、後藤さんは灌漑農業を紹介し、乾季にも米作りができるようになりました。また、乾季の野菜作りも奨励し、日本の大根、人参、きゅうり等も指導しました。今はどこでもこのような野菜は買えますが、当時はなかったのです。農家は収入向上になり、とても喜んだそうです。

 タンゴンでは第3次隊と第5次隊の20人の仲間で農業指導に取り組み、それぞれ灌漑、土壌測定、畜産等の専門家でしたので、現地の農民は真新しい知識の習得に熱心に取り組みました。2年の任期で帰国する仲間が多い中、後藤さんは1年延長し、その後は専門家として5年間現地にとどまり、8年もいました。

 その間、農場のラオス人女性と結婚し、家族を設けます。

 1975年12月の政変で王政から社会主義政権になり、外国人が引き上げていく中、後藤さんはとどまりますが、子どもの教育のため1980年に帰国して、折しも姫路にインドシナ難民センターが開設され、通訳として採用されますが、ラオスが忘れられず、1995年に戻ってきて、農業指導を続けました。

 当会IV-JAPANのラオス北部のシェンクアーン県初期事業にご協力いただいたことがあります。ビエンチャンからシェンクアーンに行くには1995年当時はプロペラ機で(私は動物と一緒にヘリコプターで行ったこともありますが)1時間半くらいかかりました。山岳民族が多く住んでいまして、特にモン族が90%以上住んでいるノンヘット郡に1998年ごろ赴任していただきました。当会はノンヘットで「山岳民族女性のための識字教育、職業訓練」を実施していて、訓練所に寮を併設して建設し、6か月間の縫製と織物の職業訓練に、短時間で小学校卒の資格が取れる学校制度外教育を実施して、約千人の卒業生を輩出しました。各国大使の視察があり、当会の職業訓練所も訪れて、当時の橋本大使(現日本ラオス友好協会長)が、「こんな辺鄙な所に日本の援助が届いていて、各国大使が驚いていた。鼻が高かったよ」とおっしゃっていただきました。

 後藤さんにはけし栽培に代わる代替作物の導入を各農家を回って農民に指導してもらいました。当時は国道からも白や紫のけしの花が咲いているのが見えました。県都ポンサワンからノンヘットには1泊2日の行程で、バイクで通い、ノンヘットには外国人用ゲストハウスもなく、ラオス人の家に寝泊まりして後藤さんは活動しました。

 ラオスに翻弄された一生ですが、ラオスへの愛情は変わらず、私が、「コロナワクチンを受けられましたか?」とお聞きすると、「僕はラオス人全員が受けた後に受ける」と言って、頑固な親父さんぶりでした。

 毎年、協力隊は首相を表敬訪問しますが、2019年の当時のトンルン首相の激励の言葉をご紹介します。

「ラオス・日本がパートナーとして様々な分野で協力をしてきている中でも、JICA海外協力隊の皆さんの活動は、日本人の働き方や思いやりを伝えることができる取り組みであり感謝している。思いやりを大切にした将来のラオスを支える人材の育成に今後とも力を貸して欲しい」と。技術指導だけでなく、働き方と思いやりを日本人から学ぶということですね。

 当会にも現在2名(瀧口、田澤)の協力隊OBが勤務しています。日本の青年は内向きになりつつあるとお聞きしていますが、後藤さんのように現地の土になる覚悟で、海外で活躍する人材が増えるといいと思います。