ラオスの映画事情 -ラオスで初めての女性映画監督誕生- 

 代表理事の冨永幸子です。

 ラオスは長年映画館もなく、最近はいくつか映画館はできたのですが、4月以来のロックダウンにより長らく閉鎖されていました。やっと先月より再び再開することができました。一応首都ビエンチャンに3カ所、南部パクセーに1カ所あり、上映館は全部で15館(スクリーン)あります。映画自体も1975年の革命後は政府のプロパガンダ宣伝映画が主で、ほとんど製作されることもありませんでした。

 1975年の建国後、政府の意向で1977年からチェコスロバキアに9年間留学して、映画・テレビ学科を卒業したソム・オック・スティポンさんは、国営企業の監督兼撮影技師に迎えられますが、質の高い映画つくりを目指して会社を離れ、ラオ・シネマトグラフィーに就職して1988年に「ブア・デーン(赤い水蓮)」を製作しました。これはラオス最初の劇映画で革命時代のラブストーリ―ですが、ラオスの日常生活や文化を取り入れていて、わずか5000ドル(約57万円)で製作されましたが資金繰りは大変でした。1994年のアジアフォーカス福岡映画祭でも上映されました。

 1989年に「ラオ・インター・アーツ」社を作り独立しました。資金が続かず、パン屋さんを始めます。そして5年後にようやくプロ仕様のカメラを購入することができ、1993年に制作した「レンテンの独楽」はパリで開催されたフランス語圏文化祭で殊勲賞を受賞し、1995年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映されました。レンテン族は少数民族で焼き畑で生計を立てています。これが彼の長年抱いていた第2作目の劇映画になりますが、資金不足で映画つくりを継続するのは困難でした。2010年には古都ルアンパバンでアメリカ人により「ルアンパバン映画祭」が始まり、アセアン各国の映画が上映されました。

 また、2010年には海外留学組により「ラオ・ニュー・ウエーブ・シネマ」社が結成されて、タイ留学中のアニサイ・ケオラさんが卒業作品として「At the Horizon(地平線で)」を製作しますが、政府批判のため検閲に通らず、一般公開はされませんでした。が、海外では評価が高く、ラオスでは一部修正されて上映可能となりました。検閲でタブー視されていた銃暴力を取り入れました。

 ラオス初の女性映画監督マティ―ドーは、同じく2010年にラオスに来て「ラオ・インターアーツ」社に所属して映画つくりを始めます。彼女の両親はアメリカに難民としてわたり、母親が亡くなったのを機に、父親とラオスに戻ってきました。彼女はアメリカでは子どもクラシック・バレーの教師として働いていました。映画製作は全くの素人でしたが、彼女によりますと、バレーは無言で身体で表現しますが、映画も同じだと言います。2012年に「チャンタン(愛犬の名前)」を初めて製作し、自分の愛犬が亡くなったので記録に留めるためでした。続いて2016年に「Dearest sister(愛しい従妹)」を製作、「視力を失った女性が死者を見る力を獲得し、周囲に波紋を広げていくという静かなホラー」で、米国アカデミー賞外国語映画部門の初めてのラオス代表作品にノミネートされたそうです。「私の見た本当のラオスを映画にして、もっと世界の人に知ってもらい、楽しんでもらいたい」という思いから作ったと語ってくれました。

 2018年には「Long Walk(永遠の散歩)」を製作し、2019年の東京国際映画祭に初めてのラオス映画として出品し、彼女は日本に招待されました。この映画はやはりタブー視されていた精霊信仰を取り入れてラオス映画界に新風を吹き込んだと評価されました。内容は「老人が50年前に母親を結核で亡くしたことを後悔し、霊力を備えて、過去に戻って母親の死を食い止めようとする、、、」という内容ですが、発展途上国の田舎で、貧困を美化したりすることは実態とかけ離れていたりするので、自分は生身の人間の弱さを描きたかった、と。彼女は昨年夏スイスのロカルノ映画祭にも審査員として参加して、今一番活躍している映画人だと思います。

 2015年には日本ラオス外交樹立60周年記念に「竜の奇跡(サーイ・ナームライ)」という劇映画が日本人の森卓さんのプロディースで、初めての日・ラオ合作で作られました。ナムグムダム建設に関わった日本人技術者の青年の事故死からヒントを得て、日本人とラオス人女性の恋愛も絡め、ラオスの美しい田舎や結婚式等も見られ、ラオス紹介には良かったです。ラオスでは年間0本~3本くらいしか映画は作られていません。

映画製作を困難にしている問題は:

  1. 製作資金はすべて自分持ちで、ラオスでは興行収入は見込めません。生活のため昼間は別の職業を持ち、映画つくりに専従している映画人はマティド-くらいとか。彼女は国際的なネットワークを開拓して、いろいろと資金つくりをしています。

2.製作人材不足も痛いですね。映画俳優という職業も存在しません。マティド-は村人や素人を俳優に起用しているとのことです。「愛しい従妹」や「永遠の散歩」の女優トットリナはモデルでした。

3. 映画館の数が少ないこと。約15館くらいしか存在しませんが、現在はコロナ過で閉館されたままです。また映画館までアクセスする公共交通もないことです。入場料も高いです。最低賃金が月給15000円くらいですから、500円程度の入場料を払ってまで映画を見に来る人はなかなかありません。

4. 政府の検閲制度があることも自由な創作活動を妨げています。ラオスでは新聞はじめラジオ、映画等すべて検閲があります。

ただ、マティドーは利点として「お金はないけど、時間はたっぷりあるので、映画つくりに時間をかけられるので、ラオスではゆっくりと遠い道のりでも、いいものが作れます」。それと、「ラオスを舞台にした外国資本の映画製作でラオス人の人材育成をすれば、将来はラオス人自身でいい映画が作れるようになるでしょう」と。将来に希望を持っていると語ってくれました。

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