シェンクワン地方

 理事の金野喜久子です。

 ラオスのことを少しでも調べると、シェンクワン地方の「ジャール平原の壺の遺跡」のことを知ることができます。この場所は、2019年にラオスで3番目にユネスコの世界遺産に登録されたことでも有名なところです。私は、いくつかの資料や、『ラオスの歴史〈上東輝夫著〉』の中に書かれている次の部分を読んで、………南詔王国の皮羅閣王(クン・プロム王、8世紀)の息子の一人であるチュアンが、父王の命を受けてムアン・パカン(現在のシェンクワン地方)を討奪した。伝承によると、チュアンはこの戦勝を祝賀して七か月にも及ぶ宴を催したとされており、現在、シェンクワン地方の草原に見られる石壺の群れは、当時の「チュアン候の石酒壺」の名残りであるともいわれている。………とても興味を持っていました。

 ところが、ラオスでは、ビエンチャンとかルアンパバーンに行くことはあっても、それ以外の地方に出かけるチャンスは中々ありません。諦めかけていた時、5・6年前になりますが、友人の希望と一致して、「ジャール平原の壺の遺跡」を直に見るという夢が叶いました。

 実際の石壺群は、石の内部が削られていて、大きな器のような形です。自分の背よりも高い壺がたくさん散らばっていて、古い時代に、どんなことがあったのかと想像するのは楽しい事でした。その石壺が、何に使われたかははっきりしていないようですが、これまでの調査では、埋葬の際に使われたのではないかとも考えられています。シェンクアン地方は、美しくて豊かな自然の中にあります。景色は素晴らしくて、朝、宿泊したホテルから遠くを見ると、登校する子どもたちが小さく見えました。

 話は変わりますが、私たちは、ビエンチャンからシェンクアンまでの往復に飛行機を利用しました。実は、復路が予定通り飛ばず滞在期間が一日延びることになってしまったのです。ラオスで地方に旅行するときは、ゆとりのある旅の計画が必要だということを知ってはいましたが、実際に起こってしまいました。そんな予定外の展開になりましたが、結果としては、観光地を何か所か巡ることができたので、充実した滞在になったかもしれません。

 モン族の村も訪問しました。シェンクワン一帯は、ベトナム戦争とそれに続く内戦時、アメリカ軍による激しい爆撃にさらされたところで、その時の不発弾の処理が今も続いています。因みに、日本にもラオス政府の撤去活動の支援を実施しているNGOがあります。そのような危険な場所で暮らしているのに、爆弾を利用する庶民の暮らしを見ることもできます。ラオスの庶民は爆弾の殻を拾い集めて、植木鉢にしたり、建物の土台や柱として利用していました。微笑んでいいのか複雑な気持ちになりました。

 機会があれば、魅力のあるシェンクワン地方を再訪したいと思っています。