ラオス国立大学経済経営学部の創設支援の物語

 理事の豊田利久です。

 ラオスの総合国立大学は1995年秋に創設されました。それ以前には医学、工学、教育などの単科大学はありましたが、経済やビジネス系の国公立大学はありませんでした。現在のラオス建国の父であるカムタイ元大統領の強い希望で、経済系の学部を日本の支援で創ってほしいという公式要請が日本政府にきました。外務省から私が指名されて、一人で何度か現地の調査に行きました。キャンパスは旧師範学校で、旧制の学生だけで少なく、牛や鶏などが自由に放牧されていました。新学部の教員候補は旧単科大学から集められた7名で、建物も教科書も何もありません(特にクーラーがなかったのには閉口しました)。外務省は、日本が社会科学系の学部立ち上げを支援した経験がなく、当初は懐疑的で、私の調査次第で、しかもカリキュラムや教科書作成の支援程度を想定していました。しかし、ラオス側には教室棟の建築もしてほしいという強い希望があり、私もやる気になって、その旨を外務省に勧めました。それならば日本のプレゼンスを示す「日本センター」(ラオスでは当時「ラオス・日本人材育成センター」と呼称)とセットでハコモノ(学部とセンターの建物)も作り、いわゆる「プロジェクト方式技術協力」を実施するという話に進展しました。総額20億円を超えるプロジェクトで、当時のODAに余裕があったから可能だったので、現在ならば不可能な話です。それでも、決定されるまでに約1年半が経過しました。

 当初は, 勤務先(神戸大学)の協力体制もできておらず、私にとっては綱渡りのような、時には厳しい事態も経験しました。日本から多くの先生を交代で派遣して教科書の作成支援が必要です。また、教員の量と質を迅速にレベルアップするために、日本やタイ等の大学院への留学を実現するために駆けずり回りました。当時、ラオスからの日本留学中の院生はまだ少なく、経済や経営を専攻している人はゼロでした。大阪大学で交通工学の修士課程に国費留学していたP君を説得、指導教授の許可も得て神戸大学の博士課程に移籍してもらい、私の指導の下で経済学博士を取得しました。教員も現在では100名を超え、昨年からそのP君が学部長を務めています。卒業生も1万名を超え、ラオスの各分野で活躍しています。