スタディーツアーの思い出 2003年-①

 理事の斎藤です。

 昨年2月のスタディーツアーが無期延期になってから1年が経過しました。コロナ禍の今、以前の様に誰もが気楽にラオスを訪ねる事が出来るのはいつ頃になるのか待ち遠しいです。2001年7月に「アスペンエグゼクティブセミナー」で富永代表と出会ったのがご縁で何度もスタディーツアーに参加して貴重な体験をさせてもらいました。

 忘れないうちに特に印象に残った思い出を順にたどってみたいと思います。

 2003年11月1日~9日 スタディーツアー初参加。

 11月1日朝、成田空港で参加者が初顔合わせ。メンバーは当時の副代表で指圧師の藤田さん、代表のお母さんの高橋さん87歳、和歌山から参加のドナーの太田氏、書道師範の稲田さん、美容師の塩島さん、元助産師の斎藤、事務局の尾嶋さんの計7名。藤田さんと高橋さんはラオスで長期滞在の経験者。

 当時はバンコク経由でした。約5時間の乗り換え時間を過ごしてバンコク発夜9時のフライトでビエンチャンに向かった。メコン川が近づき機内から見下ろすと、メコン川をはさんでタイ側は光があふれて明るいが対岸のラオス側は光がまばらで暗いので驚きました。空港には代表と現地スタッフの迎えあり、全員元気に到着出来たことを喜び合いました。

 当時のビエンチャンは空港から市内のホテルに向かう国道沿いに街灯が無く暗闇で、時々現れる商店に暗い裸電球がついていたのを思い出します。

 11月3日 タソモ村訪問。タソモ小学校と建設中の学校見学、村民との交流会に出席。車2台に分乗してホテルを出発。市内から整備された国道を1時間ほど走り代表の知人の後藤さん宅で休憩。実は学校のトイレが使えないので後藤さん宅でトイレを借りてから村に向うとの事。後藤さんは青年海外協力隊の一期生で主に農業指導の担当でした。奥さんはラオスの方です。タソモ村には電話が無いので事務所からの連絡は、後藤さん宅に電話をかけて近くの市場に野菜を売りに来るタソモ村の人に伝言を頼んでいるそうです。休憩後タソモ村に向かうが国道からそれると悪路が続き村までの1時間は本当に大変でした。雨季から乾季に変わったばかりでわだちや水たまりが多くそれを避けながらくねくねと走り、その上ものすごい埃が車内に入り体中埃だらけになりながらやっと到着した。

 当時学校として使用していた建物は元農民組合の農作物収集出荷作業所です。仕切りはトタン板で雨が降ると下がぬかるみ、トイレも使用出来ない状態。子ども達は大勢の日本人の訪問に驚きかなり緊張していた。幼い弟や妹を連れて登校している生徒もいて友人が一緒に世話をしていた。その微笑ましい姿を見て胸が熱くなりました。ひと昔前の日本にも見られた光景です。

村民が郡の役所に学校の建て替えを要望するが叶わず。見かねた後藤さんが募金集めを始め富永さんにも建て替えの緊急性を伝えていたとか。2003年7月、帰国中の富永さんに退職金で学校を寄贈したい旨伝えたところ即タソモ村を推薦されました。9月にラオスに戻られてから村民や建築会社等との協議を重ねた結果10月に着工。運良く11月のスタディーツアーに間に合ったので建設中の学校を見学する事が出来ました。新しい校舎の工事は順調に進んでいて2月のハンドオーバーには間に合うそうです。

村人が歓迎式(バーシー)を開いてくれました。皆さん素朴で穏やかな人達で手作りの料理をご馳走になりながら楽しいひと時を過ごしました。村の人も先生達も新しいタソモ小学校の完成を心待ちにしていました。ラオス滞在中は時の流れがゆったりしていて癒されました。スタディーツアー初参加は、ボランティアや観光等で充実した毎日でした。素敵な仲間と出会いその後もお付き合いが続いています。