「ラオスの国立博物館のご紹介」 

代表理事 冨永幸子

ラオスで有名な博物館は古都ルアンパバンにある「ルアンパバン博物館」元王宮があります。ルアンパバンは町全体が1995年にユネスコ世界文化遺産に認定されていますので、皆様もご存じかと思います。

他にも首都ビエンチャンに「ラオス国立博物館」があります。そこは、元々はフランス植民地時代にフランス総督の公邸として1925年に建設されたフレンチ・コロニアルの洋館で、白色を基調に優雅なデザインで、建設されています。1945年10月12日にフランスからのラオス独立宣言もこの館で行われた歴史的にも重要な場所です。

1985年に革命博物館と名前が改められ、そして、2000年後半に国立博物館と格上げされました。国立博物館の役割は研究機関としての役割もあり、また、歴史的な文化遺産の保存、保護、広報も担っています。

2017年に中心地から6キロ郊外の現在地に移転し、新築されました。

私も新博物館を訪問しましたが、4階建てのラオス風デザインで、お寺を想像させるような堂々たる建物です。前庭にはシェンクアーン県ジャール平原から移設された、1500年~2000年前の石壷が3個おかれています。ジャ―ル平原の石壷群は2019年にユネスコ世界文化遺産に認定されました。石壷から人骨が発見されたのでお墓か、又はお酒の保存用かは未だになぞに包まれています。

館内の1階は恐竜化石、鉱物、ラオス先史時代の石器や青銅器、鉄器、土器、ラオスのクメール文化の展示があります。2階は14世紀~19世紀のランサン(百万頭の象)王国時代の展示で、仏像なども展示されています。3階は:フランス、アメリカからの独立闘争の歴史、建国の歴史、エスニックグループの紹介(ラオ・タイ、モン・クメール、シノ・チベット、モン・ヤオ)などです。

印象としてはガランとしていて、まだ展示準備中で、たくさんの発掘品や、資料が未整理で倉庫に保管されているそうです。資金不足で手付かずのままだそうです。博物館の職員もラオス人が9名しかいなくて、学芸員は3名、他の職員は歴史、美術や建築の専門家です。日本人のJICAボランティア1人が継続的に着任して、分類、整理をしているそうです。2017年の開館後、コロナによるロックダウンが今年まで続き、残念ながら、来場者はほとんどいないということです。

ラオスの博物館の現状は博物館学という学問が確立されてないので、博物館の職員は採用時に博物館に関する専門性が低く、実際の業務をとうして博物館学を身に着けていきます。日本では学芸員という資格があって、その資格が博物館専門職としての最低条件ですが、ラオスではそのような資格がなく、博物館学の確立と人材育成が喫緊の課題です。しかし、バンペン館長は、スウェーデンで国際博物館学を学び修士号を取得しました。

館長さんは2010年にJICAの招聘で10か月間、日本でも研修しました。

バンペンさんは埼玉県でホームスティを9カ月間経験したことで日本人や日本の習慣をたくさん学ぶことができたそうです。

彼女は、「10か月の間は博物館学や考古学はもとより、日本文化や日本語も学ぶことができました。研修では日本各地の奈良、京都、姫路、広島、富士山など世界遺産などを訪れる機会があり、文化遺産の保護や保存について夢中で勉強しました。博物館学の主な研修は埼玉県博物館で行われ、収集・分類の方法、保護、管理、保存について学びました。埼玉県で学んだことは私の元の職場のルアンパバン博物館をはじめ、現在の国立博物館にとても生かされています。特に印象に残っているのは、日本文化ですが、陶器や漆工芸のすばらしさに感動しました。また、日本の四季の移り変わりと民俗文化が深くかかわっている、例えばお祭りとか、素晴らしいと思います。他にも特にホームスティのお母さんが毎日作ってくれたお弁当に興味が湧き、和食が大好きになりなりました。」

と語ってくれました。

今後のラオスの課題は、国立大学の中の社会科学部歴史・考古学科では博物館学概論の講義はありますが、学芸員になるための総合的に学ぶところはありません。考古学はようやく日本人の専門家が指導しています。コロナもラオスでは終息したので、博物館を訪れる人も増えるでしょう。バンペン館長は大変熱心な方ですので、期待しています。