「ラオス・ワークキャンプに参加した頃を振り返って」

 理事の金野喜久子です。

 IV-JAPANでは、スタデイツアー(あるいは、ワークキャンプ)の企画を継続してきました。私が参加したのは、20年ほど前で、その頃は、「国際ボランティアの会」という団体名でした。ラオスに行くのは初めてで、また、この旅行のために煩わしいことを片付けなければならなかったこともあり多少疲れていたのですが、現地スタッフや他のツアー参加者の方たちの御配慮により、たくさんの思い出に残る体験をさせて頂きました。

 日本・ラオス間の往復の際は、タイを経由してからラオスに入り、首都・ビエンチャンにあるワッタイ空港で出入国しました。それまで、ラオスと日本の関係について詳しく知らなかった私でしたが、振り返りますと、ワッタイ空港(日本が支援)に降りたときが、私のラオスという国への関りをスタートさせたとき、と言えるかもしれません。

このツアーで主な取り組みは、次のようなことでした。

・IV-JAPANが建てたシーダムドゥアン小学校訪問(文具等贈呈、日本人参加メンバーによる歌の披露、交流)

・FORCAP(JICAの森林保護、村の自立支援事業)見学

・大学生・高校生は、村にホームステイ

・ナムグム・ダム(日本人が開発した、ラオスで最初の水力発電ダム)観光、塩の村見学

・ビエンチャン、バンビエン観光

・ルアンパバーン観光(日本人青年海外協力隊〈学芸員〉による旧王宮案内、元JICA専門官による子ども文化センターの指導を見学、織物の村見学等)

・IV-JAPANの現地事務所(兼、職業訓練センター)見学

 上記の「塩の村」について少し説明しますと、そこでは、地下から塩水を汲み上げて、約6時間煮詰めて塩を作っています。古代、この場所が海であったため塩水を汲み上げることができます。塩は人体に必要な成分ですが、海に囲まれていないラオスで、塩が作れることに驚きました。

 FORCAPの事業では、焼畑への依存度を減少させるための試みの一つとして、手漉き紙〈和紙〉作りを推進していました。更に、ラオスの女性は、伝統的な機織りの技術を身に付けていますので、和紙を使った紙布織りも行われていました。写真テーブルセンターは、綿と和紙(縦糸、横糸)で織られています。これまで、何度かラオスに行きましたが、家の横に置いた機織り機で仕事をする女性を見かけることがあります。複雑な模様を、馴れた手つきで織っていきます。そのような技術を生かす取り組みが実践されていました。

 そして、IV-JAPANの現地事務所(兼、職業訓練センター)を訪れたときは、縫製・理美容・調理のコースを始める準備段階でした。その後、多くの事業へと展開しましたが、初期の段階では、難しいことも多かったようです。

 ところで、ラオスで、初めての外食が、ラオ・スキでした。ジンギスカンに似ています。ちょっとドキドキしましたが、おいしく食べられました。ツアー中に食べた、カオ・ピヤック・セン(鳥のダシ、米の白い麺を入れる)もおいしかったです。ただ、ラオスの料理には、パクチーがよく使われるので、少し大変でした。首都ビエンチャンに、クア・ラオというレストランがあります。私たちが訪れる前に、日本の元小渕首相がラオスを訪問したことによって、「小渕ランチ」というメニューができていました。ご飯は、もち米を蒸した「カウ・ニャオ」というものです。おいしくて、これだけでも食べられます。ラオス人は、竹で編んだ「チップ・カオ」というおひつに入れて食べます。「パー・カオ」というお盆に、肉か魚を使った「ラープ」や筍を使った「ケーン・ノーマイ」等、様々なラオス料理がきれいに盛り付けられていました。因みに、私は、ラオスのフランスパンも好きです。

 20年前の旅行の際に、驚いたことを挙げますと、両替の際、50ドル~60ドルが、写真のようにたくさんのお金に替わったとことです。タラート・サオ〈市場〉や観光の場所以外では、お金を使う場所があまりなかったので、こんなにたくさんのお金を持ち歩いて、内心とても不安だったことを記憶しています。

 それから、全く予想していなかったことで、嬉しかったことは、ラオスの人々の「笑顔」に出会えたことです。20年前、ラオスは、経済的に貧しいし、教育環境も日本とは比較できない状態でした。もし、ラオスに行くことがなかったなら、そのような認識だけで終わっていたような気がします。しかし、ラオスでは、偶然にお会いした方でも、我々外国人に笑顔で接してくれて、それが癒されるレベルだったのです。普段、ストイックに暮らす日本人とは異なる暮らし方に接し、「豊かさとは何か」と考えさせられました。

 ビエンチャンの中心地にフランスの凱旋門に似たパトゥーサイ〈戦勝記念塔〉が建てられています。たまたま、20年前の写真が残っていました。車は、ほとんど走っていません。建物も多くありませんでした。数年前にラオスを訪れたとき、例えば、ビエンチャンでは、建物が建設され、車が溢れていました。そして、戦勝記念塔の周辺は、フランスのパリの凱旋門の辺りを想像してみてください。まさしく、そんなイメージになっています。因みに、ラオス人は、自国の通貨である「キープ」の他に、「ドル」や「タイ・バーツ」をうまく使い分けています。

 今回、20年前の体験を振り返り、書ききれないほどの多くのこと学んだことを再確認しました。また、地域の格差、個人的な格差があると言われることもありますが、ラオスの経済成長が継続され、社会が変化してきたことを感じることもできました。