乾電池の思い出

 10年ほど前、美容コースの仕事や化粧品に使うシルクポーチの探索のためにラオスへ往来していたころの話である。デジカメの電池が切れて市内の店で買うが、みなびくとも動かない。この国にはよくある不良品だと思い、そのたびに新しいものを買ったが、さすがに不良品が20個も手元に残ると腹も立ってくる。最後の電池はメコンのほとりの雑貨屋で買った。いや試した。「タイから届いたばかりのパナソニックだから大丈夫だよ」と店のおばちゃんは自信ありげだ。「4個もいらない」と言う私に負けて、透明フィルムを破り、中から2個を取り出す。そして1ドル紙幣を私の財布から抜き、手を合わせにっこりほほ笑む。

 しかし今度ばかりはそうはさせない。不良品なら買わない。私はすぐその場でデジカメに装着してみた。すぐに結果が出た。いままでのものとどこも変わらない。私は悪魔になった。「要らないよ。お金戻して」。おばちゃんは悲しそうな顔をして返金に応じたが、帰り道、私の良心は傷んだ。フィルムを破って一度使った電池は、ラオスでも売り物にならないだろう。ボランティアでこの国に来ているのに、弱い立場のおばちゃんをいじめてしまった。うしろめたさはしばらく収まらなかった。

 日本に帰った私は、ラオスで買った電池のすべてがマンガン電池で、デジカメには向かないことを知る。アルカリ乾電池などもともとラオスにはなく、表示の無いのはマンガン電池に決まっているのだそうだ。そんなことも知らずに吠えていた自分が情けなくなった。

 それから3カ月、日本は未曾有の大地震に襲われる。首都圏では恥ずかしい光景が繰り広げられていた。過剰な買いだめに走る人がすべての生活実需品を品薄にしてしまった。

 震災三日目、計画停電とやらに備えて、我が家も懐中電灯やラジオを出したが、中に電池の入っていないことに気づく。しかし電池が買いだめ軍団のターゲットにならないはずはなく、電気屋にもコンビニにももはやその姿はなかった。

 困り切った私の前に、妻が20個の乾電池をならべた。ラオスで買った、あの役立たずのマンガン電池だ。デジカメはダメだが、ラジオにも懐中電灯にも使える。ラオスの乾電池が私の前で初めて動こうとしている。私は不思議な感動に不覚にも涙がこぼれた。あれほどこき下ろした電池に、大袈裟に言えば、命を救ってもらえることになる。その皮肉さに私は恥じ入るばかりだった。

 川から水を汲み、重そうに運ぶ少女を私たちは可哀そうだと思うが、実は何ともないのではないか。本当に可哀そうなのは、便利という砂上にインフラを築いてしまい、それが崩れた時に立ち往生してしまう私たちではないか。そう思う日々が続く。